聖デイヴィッド St David / Dewi Sant

~ウェールズの守護聖人~

 

キリスト教が生活習慣のベースとなっている欧米には、

守護聖人という考え方があります。

個人的には洗礼名や誕生日の聖人が、

特定の職業や活動、町や国にはそれぞれにゆかりの聖人が

特別に目をかけ、神さまにとりなしてくださる、

というものです。

信仰の世界での頼もしい仲介者というわけですね。

 

国旗の項でも書いたように、英国を構成する4つの国には、

それぞれに守護聖人がいます。

イングランドは聖ジョージ、スコットランドは聖アンドリュー、

北を含むアイルランドは聖パトリック、

そしてウェールズの守護聖人が、聖デイヴィッドです。

 

この4人のうち、聖デイヴィッドだけが、

自分が生まれ育った国の守護聖人なんですよ。

竜退治で有名な聖ジョージは中東の出身

聖アンドリューはキリストの12使徒のひとり、

クローバーの葉で三位一体を説いた聖パトリックは

西ウェールズ生まれという説もあります。

 

さて、ではなぜ聖デイヴィッドが

ウェールズの守護聖人になったかというと、

もちろん、彼が母国でのキリスト教の興盛に

多大な貢献を果たしたからです。


キリスト教はウェールズにはイングランドより早く広まり、

彼が生まれた5世紀後半には修道院も建てられていました。

王族の息子だったデイヴィッド(ウェールズ語ではデウィ)は

高名な修道士に師事して聖職者となり、仲間とともに布教の旅に出ます。

そして訪れた村や集落で人々を改宗させていきました。

 

デウィは非常に禁欲的な人物で、真の心の平和と幸福は、

所有欲や快楽を遠ざけ、自分自身を律することでしか得られないと説きました。

また、食べるものは野菜とパンだけ、飲むものは水だけだったので

やがて“水の男”と呼ばれるようになります。

自己節制と修練は、弟子たちにも求められました。

しかし、このような厳しさにもかかわらず、

彼の清廉さと慈愛深さは多くの人を魅了していったのでした。 

St David's Cathedral / courtesy of Photolibrary Wales                              
St David's Cathedral / courtesy of Photolibrary Wales                              

西暦530年ごろ、ウェールズの最南西端にある

生まれ故郷に、デウィは活動の拠点となる

修道院を建てました。

ここが、現在はセント・デイヴィッズ

 (St David's)と呼ばれる地で、

その祈りの場は大きく発展し、

聖デイヴィッド大聖堂になっています。

デウィは589年もしくは601年の3月1日に

亡くなり、遺体は聖堂内に埋葬されました。

 

死後も彼の徳性を偲ぶ人は絶えず、

1120年、ローマ教皇はデウィを聖人と認定。

次いで、ウェールズの守護聖人であるとも

宣告されました。

 

セント・デイヴィッズへは多くの巡礼が訪れるようになったため、

ローマ教皇はさらに、この地への2回の巡礼はローマへの巡礼に、

回の巡礼はエルサレムへのそれに等しいとまで定めました。

 

ところで、聖人には奇蹟がつきものです。

聖デイヴィッドにも、修行中に盲目だった師の目を見えるようにした、あるいは、

遠くの群集にまで彼の説教が聞こえるように、聖霊が白い鳩のかたちになって

彼の肩にとまり、拡声器の役割を果たした、などの奇蹟譚があります。

だから彼の聖画には肩にとまる鳩が描かれているものが多いんですよ。

また、ウェールズのシンボルであるリークは、サクソン人との戦いの際に、

かぶとにリークをつけて敵味方を見分けろと彼がアドバイスしたのが由来といわれています。

 

もちろん6世紀の人物ですから、彼にまつわる話のどこまでが史実なのかは、定かではありません。

祈りが聞きとどけられるよう聖デイヴィッドにとりなしを頼む人も、現代では少ないでしょう。

それでも、守護聖人の祝日である3月1日のセント・デイヴィッズ・デイは、

ウェールズ人にとって“われらが国の日”であり、

自分たちのアイデンティティを確認する大切な日です。

デウィ自身も愛国者だったので、きっと空の上でいっしょにお祝いしているんでしょうね。

 

 

 

  <もっとトリヴィア

  英国では歴史上、大聖堂(カテドラル)がある町には

 「シティ」のステータスが与えられてきました。

  だからセント・デイヴィッズは、

  英国のなかでいちばん小さな“市”なんですよ。