レッド・ドラゴン

~ウェールズ国旗~

英国国旗、通称ユニオンジャックは、

イングランド、スコットランド、アイルランドのそれぞれの

守護聖人の十字旗が組み合わせられたものです。

残念ながら、ウェールズは含まれていません。

この旗がつくられるずっと前に

ウェールズはイングランドに併合され、

その一部とみなされていたからです。 

 

ウェールズにもちゃんと国旗はあるんですよ。

それは、こちら。水平分割された緑と白を背景に、

赤い竜が勇ましく描かれています。

 

そう、ウェールズといえば、レッド・ドラゴン。

レッド・ドラゴンといえば、ウェールズ。

この、イコールでくくれるほどの両者の関係は、

 英国では当たり前すぎるほどの常識です。

 

でも、どうしてレッド・ドラゴンの国旗なのでしょう?

ほかの3国のように、守護聖人である聖デイヴィッド

十字旗だって、このようにちゃんとあるのに。

さぁ、それを知るにはやはり、

長い歴史を遡らなければなりません。

 

ドラゴンはそもそも、5世紀初頭まで大ブリテン島に駐留していた

ローマ帝国の軍隊が持ちこんだものです。

彼らは竜のような頭に吹き流しをつけた“ドラコ”という軍旗を戦場で用いていました。

ローマ軍が撤退したのち、北ウェールズの歴代の王たちも、

侵入してきたサクソン人との戦いの際にドラコを旗印とします。

7世紀には偉大なる英雄とたたえられたカドワラデル王が

レッド・ドラゴンを自らの軍旗とし、名を馳せました。

 

それがウェールズのシンボルとして広く認識されたのは、

イングランドがフランスに攻め入った、1346年のクレーシーの戦いがきっかけ。

ウェールズの長弓隊がエドワード黒太子に大勝利をもたらした戦場に、

レッド・ドラゴンの軍旗が天高くはためいていたのです。

さらに時代はくだって1485年。

イングランドの王位継承権をめぐる

バラ戦争に終止符を打ったのは、

ウェールズ人の血を引く

ヘンリー・チューダーでした。

彼はウェールズのシンボルである

リーク(西洋ネギ)の緑と白を

チューダー家の色とし、その2色を背景に

カドワラデル王のレッド・ドラゴンを配した旗をかかげて戦います。

そしてヘンリー7世として即位し、

エリザベス1世まで続くチューダー朝の始祖となったのでした。

 

皮肉にも息子のヘンリー8世が発布した併合令によって

ウェールズは完全にイングランドの一部とみなされるようになるのですが、

父王がつくった“緑と白を背景にしたレッド・ドラゴン”は、

ウェールズ系の王室に好んで用いられました。

それがユニコーンに取って代わられたのは、エリザベス1世の没後、

スコットランドのジェームス6世がイングランド国王にもなったからでした。

 

とはいえ、このデザインが忘れ去られたわけではありません。

ふたたび脚光を浴びたのは、北ウェールズのカナーヴォン城で1911年に行われた

エドワード皇太子のプリンス・オブ・ウェールズ叙任式。

ウェールズらしさの演出の一環として使用され、

人々の間にわれらが国旗という誇りと認識を新たにさせました。

そして1959年、ついに正式な国旗として認定されます。

長年にわたる多くのウェールズ人たちからの請願の結果でした。

 

ところで話はもとに戻って、現在の英国国旗には、ウェールズが含まれていません。

このことについて200711月に北ウェールズはレクサム選出の国会議員が議会で質問したところ、

文化大臣は「政府としては、国旗が現在の国家の多様性を反映し、国民が誇りを持つことができ、

“英国らしさ”のシンボルとなることに前向きである」と答弁しました。

 

rugby fans / courtesy of Photolibrary Wales
rugby fans / courtesy of Photolibrary Wales

さぁ、これでいよいよレッド・ドラゴンが

ユニオンジャックの中央に躍り出るのか?! 

と思いきや、意外にもウェールズでは

反対する人が多かったようです。曰く、

 

「世はEUの時代だというのに、

いまさら連合王国にこだわるなんて。

自治政府も機能している現在、

われらの願いは、ウェールズが

レッド・ドラゴンの旗のもとに

一国家として認識されることである!」


この旺盛な独立心!

ウェールズ人の、ウェールズ人たる、所以です。