イオロ・モルガンヌグ

~ゴルセッズ・セレモニーの立役者~

 

1792年9月23日、秋分を迎えたロンドン郊外の

プリムローズヒルという丘に、

白い長衣をまとった一団が現れました。

厳かな手つきで周りを囲むように12個の石を並べ、

中央に祭壇となる石をすえて、その上に抜き身の太刀。

白衣の長が隷属の終焉を叫び、

皆が見守るなかで刀身は鞘に収められました。

 

これは、一団の長、イオロ・モルガンヌクが発見した

古代のドルイドの書にあったゴルセッズの儀式。

キリスト教が伝わるずっと前にブリテン島で栄えていた

ケルトの信仰にもとづく吟唱詩人の集会です。

ロンドンに住むウェールズ人たちが再現しました。

 

当時は、産業革命によって近代化が進んだ18世紀末。

暮らしが豊かになり、ゆとりができたからでしょうか、

このころ英国ではロマン主義が台頭し、

ケルトへの関心が高まります。

Gorsedd Stone Circle / courtesy of Photolibrary Wales                   
Gorsedd Stone Circle / courtesy of Photolibrary Wales                   

その末裔であるウェールズ人たちにとって

このセレモニーは、

民族としての誇りを呼び覚ましたに違いありません。

故国の伝統文化を復興しようと

長らく途絶えていたアイステッズヴォド

1819年に復活した際に取り入れられ、

以降、この民族祭典で

主要な役割を果たすようになりました。

 

と、ここまででこの項を終わらせることが

できればいいのですが、

実はこのゴルセッズ・セレモニー

ドルイドの儀式だなんて、真っ赤なウソなんです。

イオロが発見したという古文書も、本当は彼が捏造したもの。

そもそもイオロ・モルガンヌクという名前だって“吟唱詩人名”で

本名はエドワード・ウィリアムスといいます。

彼は南ウェールズ出身の石工でした。

英語で育てられましたがウェールズ語も堪能で、

青年期には多くの詩人たちと交流を持ちます。

やがて手稿を集めたり写したりするようになり、

文学的才能を開花させてゆきました。

 

といっても、より大きく開いたのは模倣の才でした。

なにしろ、イオロが編纂した中世の大詩人

ダヴィッド・アプ・グゥィリムの

作品集に収められた“新発見”の14編は、

彼の手によるものだったのですから。

この偽造がわかったのは、本人の死後かなり経ってから。

ほかにも多くの詩人の作品を手がけ、その質の高さで、

“ヨーロッパ最高の文芸贋作者”と称されています。

 

そんなイオロが夢中になったのが、

故郷とケルトを結びつけることでした。

彼は数々の古文書を捏造し、長年にわたる研究の結果、

古代の吟唱詩人たちの伝統と智慧を

少しも損なわずに受け継いでいるのは、

出身地である南ウェールズはグラモーガン州の

詩人たちであることが判明したと主張します。

ゴルセッズ・セレモニーの式次第は、

そのような文書のなかで創作されたものでした。

そして、少なくとも彼が生きている間は、

 学者たちも彼の論を信じきっていたのです。 

courtesy of Photolibrary Wales
courtesy of Photolibrary Wales

イオロ・モルガンヌグのことを、

天才肌のエキセントリックな人物ということはできます。

でもいま振り返ってみれば、ウェールズ語の保護と保存に

彼が果たした功績は、とても大きなものです。

ロンドンで暮らしていたころ、彼はイングランド人たちが

ウェールズの文化やウェールズ語を見下していることを痛感し、

祖国のために、輝かしい栄華に満ちた過去をつくりあげたのでした。

その甘美に酔いしれたウェールズ人たちが、

太古から受け継いできた言語を守ろうと

奮い立ったであろうことは、想像に難くありません。

 

さらに郷里への強い愛着から、北ウェールズの人たちが持っていた

伝統保存に関する優越感にも彼は反発し、古文書を捏造してまで、

南ウェールズの優位性を説きました。

彼の郷土愛は、“グラモーガンのエドワード”を意味する

                                                 自身の吟唱詩人名にも現れています。

 

後年、ある歴史家はイオロがあれほどの大風呂敷を広げた原動力を

「高慢なイングランド人に対するウェールズ人としての憤り、

 北ウェールズ人に対する南ウェールズ人としての憤り、

 グラモーガン州をのぞいたすべての地域への憤り、

 そして、彼を鼻であしらった人たちへの憤り」

と解説しています。

 

なるほど、ある意味、とてもウェールズ人らしいウェールズ人だったのですね。